ぼやき

僕はAIについて語ればこの世界のことは何でも分かっているのですという風に語る人間のことが大嫌いです。これから確かにAIの時代がやってくるのかもしれないし、それによってたくさんの人が被害をこうむったりこれからの人間の行く末を大きく変えていくのかもしれないけれど、それでもそのことにすべての人間が同意していてこれから世界はそうなっていくのだという甘い展望のもとにそのような共通認識を作っているのだということに大きな危機感を感じてしまう。

 

人間の未来というものはそんなに簡単なものではないだろうし、これまでの人類がどれだけ自分たちの未来について正しい見識を持っていたのかを考えてみればこの問題がいかに馬鹿らしいのかということがよくわかるのではないだろうか。

 

織田信長は自分が本能寺で死ぬことを知っていただろうか、その後IT社会が来ることを予見できただろうか。いずれもノーである。あてずっぽうなのである。

 

占いレベルでのあてずっぽうの予測と大して変わらないそのような予見にみんな乗っかって馬鹿なんじゃないかと思ってしまう。

 

それでも、就活をすれば大学生はこれから来るAIの時代に向けてほにゃららとか言ったり、公の文献を見ればグローバル化やAI化の波に対応すべき教育について語ってみたりしてそれではまったくもって意味がないでしょう。

 

そんな甘い展望で子供を教育するくらいならもっと今必要なことは何か考えようよ、AI化が来ても来なくても大事なことは大事だし、教えなくていいことは教えなくてもいいんですよね。

 

感謝の気持ちをもつことや、しっかり学んでそれをもとに考えて行動すること。相手の気持ちに共感したり時には自分を持つ事を忘れなかったり、そういうことを教えるための御託にいちいちAIの話を持ち出してそれに不安感を持っている人間に対して興味を持たせたり振り向かせたりしたいのだという気持ちが非常によく見えるのである。

 

このような考え方をするのは自分のようなひねくれた人間だけであろうか、いやそんなことはないだろう。

 

グローバル化だってそうである。いったいグローバル化とは何たるかを知っている人間がどれだけいるのであろうか、グロ-バル教育とはどんなものなのか説明できる人間がどれだけいるのであろうか。

 

おそらくそれほどいないのではないだろうか、その程度しか認知度のないグローバルという漠然とした概念を振りかざして英語教育が必要だなんだといったところでその重要性に大きな違いは変わらないだろうに。だって日本が島国である限りやはり大陸国家との距離的な差は大きく埋まることはないだろうし、日本でしかできないことは以前日本でしかできない。それに日本でしか受け入れられないできごとは日本でしか受け入れられないであろう。

 

それに対して、まさにグローバルに関する知識がない人間が予期不安的なものに悩まされて適当なことをのたまう人々のグローバル化という言葉を鵜呑みにしてしまうわけである。これは非常に由々しき事態である。

 

頭の悪い人間ほど自らの頭の悪さにコンプレックスを持っており、必要ないものを欲しがったり、大したことないことをずっと追い求めたりする。

 

例えば学歴の低い親ほど子供に学歴を求めたり、英語力のない親ほど子供に英語力を求めたりするのもいい例である。そのような愚か者がのさばっているうちは日本人が民族として成長することもかなわないであろうああ悲しい。

 

かといってこのようなことをできる人間が言っても仕方ないわけで、ボヤキだと思ってください。。なんか自分とてもすごい人間みたいになってますが、なんとなく書いているだけなので適当に流してもらえるといいかなと思います。